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第33回香港和僑会


第33回

オールランドプロモーション社長 緒方 玲子氏

第33回香港和僑会

開催日

1月18日(金) 19:00 ~ 21:30

開催場所

日本人倶楽部

参加者数

30名

第33回香港和僑会

「はっ」とする一言に出会った。

中国のユダヤ人とも呼ばれる"客家"。彼らをここまで凄くしたのはなんだったのだろう。

"客家の教え"のようなものがあったのだろうか?と言う質問に答えての一言。

「高くても仲間から買ってあげる」(え、中国人が高くても買う?)

ここからは勝手な自己流の解釈だが、おそらく仲間うちであってもとことん値段交渉はあるだろう。しかし傍から見ると同じように過酷に見える値段交渉でも”冷やかし”でない商談は全く意味が違う。捉え方によってはこれほど商売人を鍛える教育はない。

いや中国人の場合、買うことが決まっているだけにむしろ徹底的に納得するまで高い訳を議論・追及するに決まっている。

一方、私の知る限り、日本人の感覚だと「高くても仲間から買ってあげる」≒「言い値で買わないと仲間内から白い目で。仲間うちでお金の話などもってのほか。」しかしこれではお互い不幸。切磋琢磨がない。

最近の株の急変動ひとつとってもそうだが、何が起るかまったく予想できない世界。そんな世界だからこそ大切なのは信頼できる仲間。

「高くても仲間から買ってあげる」

一見右から左に聞き流しそうなこの言葉の意味は深い。共存共栄の本当の意味とは?海外で起業し活躍する和僑の間でこのような切磋琢磨が当たり前のようにできたらきっと…。

淡々と語られたお話には実証済みの奇跡の起こし方のヒントがたくさん詰まっていた。そしてこれらを自分に当てはめて考えると海外起業家にも役立つノウハウばかりに思える。

また「クリスマスカードを送るだけでも首の皮一枚人とのつながりが保てる」とも。この言葉も43年間香港で暮らして体得した言葉だけに重い。

(音信不通で過ごした歳月を埋めるのに必ずしも長い手紙は必要ないのかも知れない。)「ちょっとしたきっかけで疎遠になったあの人に一言だけ添えた旧正月のカードを送ろう」などと柄にもなく思い立った。

あの吉田茂総裁の後をついだ緒方竹虎のご一族。ご親戚にはあの緒方貞子女史も名を連ねる。『華麗なる一族』などと月並みな形容ではかえって失礼。何代にも亘る上流社会の人脈が・・。

(今回の講演をすでに聞いた人も『拙速で候さん』の【注釈*】付の議事録をもう一度読まれることをお勧めします。 拙速さん調査ありがとうございます)

そんな“やんごとなき”お方が、「生き馬の目を抜く香港で商売っ気のない自分がなぜ奇跡的に生き延びれたのか」をご自身で8枚のスピーチ原稿にまとめて生で語ってくれた講演。和僑会ならではの贅沢である。

もうひとつ心に残ったのは客家が世界のさまざまな場所で開いている『客家世界大会』。

『客家に出来て和僑に出来ないわけがない』そんな勇気を奮い立たせてくれたお話でもありました。

緒方先生、本当にありがとうございました。

(ここまでの文責 上野)

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第33回和僑会講演会 速記録

講師:All Land Promotion Limited Director緒方 玲子女史

香港は43年になるが本籍は福岡に残しているので気の利いた事をやりたいと思っている。

長く居るから成功していると思われているが商売は下手なので誤解されているのではと自分では考えている。生き馬の目を抜く香港で生き延びてこられたのは奇跡である。今回は海外での起業とか香港ビジネスいった普段の話題とちょっと毛色が違う話かもしれない。

何が良かったのかを振り返ってみると人を大事にした事だと思う。

長く付き合うと誤解やいさかいも起こる。そういう時は“沈黙は金”である。時間が経てば“ヨリ“が戻る。私は「親友がひとり居るだけでいい」と常々考えていたが、その事をある中国人の友人に語ったところ、その中国人から「魯迅も同じ事を言っている。」と教えらうれしくなった。2世代、3世代に亙って付き合ってはじめてわかる事もある。

司法長官のリョウ・アイシ女史(※律政司司長の梁愛詩女史(在任期間:1997年7月1日-2005年10月20日)詳細wikipediaご参照)とは1969年から親交が続いている。

私のどこが気に入られているのか?自問自答してみたが、モタモタして頼りにならないから好かれているぐらいしか理由は思いつかない。彼女から「必要な事は伝えるのに大声はいらない」ことを教わった。

私は1969年に日本人商工会議所が開設されてから7年間勤めていた。その時の顧問弁護士が彼女だったことが縁。日本人学校の設立に非常に力になってくれたのが思い出深い。

日本人学校を設立する時にアメリカンスクールに話を聞きに行った時の事、階段の下のスペースに作った校長室で、校長先生が「香港政府から“Piece of mountain”を貰った。」と表現した。ならば日本人学校のほうは”Piece of valley”を貰ったわけだ。モノを与えて「後は何とかせい」が統治していたイギリス紳士一流のやり口か、と言う印象を持った。

梁愛詩女史は普段はとても早口。TV出演の準備で私にわざわざ電話を掛けてきて練習台にし、「聞き取れたか」と。大変な努力家でもある。

◇旧日本軍占領統治との違い

皆さんは返還前ビクトリア公園にあったビクトリア女王像は今どこにあるかご存知だろうか?念のため確かめに行ったが、まだビクトリア公園に座っていた。日本が中国の立場だったら真っ先に撤去されているだろう。かつて旧日本軍が3年8ヶ月香港を占領していたが、クイーンズロードは大正通り、別の道は明治通りと地名を変更した。地元民は混乱してマゴマゴしていると日本兵に殴られる。人心を撹乱させるやり方を旧日本軍は採った。

一方、中共は香港を返還してもキノコのような建物Prince of Wales Buildingも中国人民解放軍海軍司令部が使用しているし地名も変えない。返還前に「地名を変更するのか?」と聞いた香港人に中国側は「話は出たが、変えたら人心が落ち着かなくなるので止めた。」と。中共は香港人の気持ちに配慮しているなとその時思った。

ひとつだけ変わらないのがある。それは中山路だ。この地名は台湾にもあるが、孫文が日本亡命中につけた名前が中山だったからだ。今、中山市と呼ばれているが、昔は香山県という地名だった。孫文にちなんで地名が変わっている。ちなみにこの中山の由来は沖縄という。沖縄に中山王朝があって中山王は江戸に住むようになっていた。

青山公路(※全湾辺りの道)も当時から青山公路だった。日本人医師の青山医師ともうひとりの二人の医師が香港で黒死病(ペスト)の治療に尽力し、その功績にちなんで名づけられたものだ。青山病院は今も精神病院として存続している。 現在では香港人でもこの道の名前の由来を知る人はあまりいないが…。

◇客家について

中国には確か58程度の少数民族があるが客家は少数民族には分類されない。

『中国のユダヤ人』と思って良い。民族でもなければ宗教でもない。迫害を受け安住の地を求め中国で客家のいない省はない。客家語をしゃべるのが客家人の証になる。

インド洋に浮かびアフリカを背景とする位置にモーリシャスと言う場所がある。王侯貴族が余暇を過ごすリゾート地だけに貧富の差が激しい。私の友人はそこの出身だが父親が客家、母親は地元の出身。彼はアメリカに留学しようとして香港に立ち寄ったのだが、彼の目には香港が刺激的に映りそのまま香港に残り、ホンコンドリームを目指した。モーリシャスは300年のフランス支配の後アメリカの植民地を経た過去があり、彼は仏語、英語、北京語、広東語、客家語を操る。彼が成功したのは勿論、勤勉さ、センスの良さ、人の良さもあるが客家だったという点見逃せない。

台湾人のホー先生(※映画「非情城市」の侯孝賢監督?)が六四事件(香港で言う第二次天安門事件の事)の時に物資をあちこちに運んだりした。毛沢東の長征も客家人の協力が無ければ成功しなかっただろう。鄧小平が何度も失脚しながらも復活したのもいかにも客家出身らしい。

客家は毎年客家大会が行なわれている。日本の華僑には客家が多い。

客家のルーツは北方に住んでいたミョン族(?)であるが、安住の地を求めて南に移住してきた。客家の住まない省はない。ところが客家がたどり着く先には先住民が住んでおり山の上に住んだり、地元民のやらない卑しい仕事を行なわざるを得なかった。

幅広帽子に黒い布をたらして農作業しているのは客家の人。香港では“錦田”の客家住居が観光ルートに入っていたが梅県の客家住居は一生外に出なくても用事が済むほど自活できるようになっている。海外の中華レストランのウエイタ-なども客家は多い。社会の底辺に甘んじる没(ボツ)未来派とエベレストのテッペンを目指す超急進派の2つにはっきり分かれている。

香港に表に出ないいわゆる上流階級の大金持ちが10人いる。新聞には全く出てこない。彼らは一代で財を成した李嘉誠とはまったく違う。

社会主義化する前の中国は階級、伝統、文化がありこれに伴うプライドを持ち、家柄を大事にする社会だった。こう言うことも普段表に表れないが相手から信頼を受け何代にもわたる家族との付き合いの中で判り始める。

ロシアは革命でブルジョアを1度破壊しただけだ。 中国は2度、3度と徹底的に弾圧した。

ピアニストのポーチョンはメニューインの娘と結婚していたが、本人が海外に暮らしていたのを理由に“人民に奉仕しない。“と両親は迫害され自殺に追い込まれている。父親は英文学の大家であった。

中国のいわゆる上流階級の人は常に不安感を抱いており、子弟を海外に出しているのも海外に繋ぎを置いているからに他ならない。バックパックひとつでも逃げ出せる準備をしているのだ。

こんな話がある。英語の出来ない中国人がアメリカの大学に進学を希望しあらゆる大学に願書を提出していた。1校だけ受け入れを許可すると返事をくれた大学があった。

「英語が全く出来ないのにアメリカに行ってどうするのだ?」と聞くと「そこを何とかするのが中国人だ。」と言う答えが返ってきた。その後その人がどうしているか便りは無いが。

現在の中共幹部も、子弟を米国に送り出しているのは友達作りをさせるのが目的だ。 将来、何かあったときに電話1本で話を付けられる関係を築いておくのだ。親が中共幹部ならその子弟も将来、出世できるのはまず間違いはない。

日本でも上流階級は同じ考え方をしている。

スイスやイギリスに送り込みヨーロッパの人たちと関係を築くのが目的だ。アラブへ送るのも同じ目的。何十年も掛かるが、たとえば日本を潰そうとする時にこの人脈がものを言う。

客家の著名人は鄧小平、李光耀(リ・クヮンユ)、李登輝、朱徳、葉剣英、葉選平。(ちなみに葉選平は親の七光りだけではなく本人も優秀だった。)

客家人は世界中にはびこるのではないかと思ってしまう。

◇世界の中の日本と中国そしてアメリカ

中国が見ているのはアメリカだ。アメリカも中国と腹を据えて渡り合う覚悟を固めつつある。だからアメリカは中国と日本が仲良くなるのを嫌っているようである。アメリカは中東で人の国へ行ってまで戦争をしている。「なんという国か」と思う。

海外から見ると日本は独特な個性がある。100%を目指す完璧主義。これが日本を産業技術大国にしたと思う。

一方の中国は鄧小平の「白い猫も黒い猫も鼠を取る猫は良い猫だ。」に代表される極めて実利的な考え方を。

食品メーカーに勤務していた時代のエピソード。冷凍餃子を中国の工場に発注した。日本の仕様ではヒダは7つと決めていたが、中国の工場は6つでも8つでも食べてしまったら同じだと主張し、中々折り合いがつかなかったことがある。そこで苦し紛れに「日本で売れたら世界中でジャンジャン売れる。」と説明すると中国側はあっさり日本仕様を受け入れた。実利を説くのは中国での交渉での秘訣であるとそのとき思った。

日本人と中国人の感覚の違いが良く判ったのはビュッフェスタイルで食事を摂った時だ。日本人は冷たいものと熱いものを同じ皿に載せるのを躊躇するが、中国人はお構いなし「ハラに入ったら同じだ。」と意に介さない。

◇中国と中国の『残酷さ』の常識

残酷さについても日本人と中国人では感覚に違いがある。

「苦しんでいるぐらいならいっそ一思い(ひとおもい)に心臓を一突きした方が本人の為だ。」と言うのが日本人。手足を切り刻まれて生き恥をさらさせるなどもってのほか。

一方、「手足を切っても頭がくっついて心臓が動いている限りはまだ未来がある。意地のある人ならそこからでも生き抜いて行こうとする。」のが中国人流。殺すほうが残酷。

香港人は中国の体制に不安を拭いきれていない。不安が香港経済を繁栄に駆り立てているのではないかとも思われる。

◇中国人との人的ネットワークを絶やさないためには

中国人は人的なネットワークがしっかりしているのが特徴だ。電話一本で商売が出来る間柄になっている。ひょっとすると世界の金融は華僑に牛耳られるのではなかろうか。

ある中国人に日本人とのビジネスに付いて聞いた事がある。「日本人と付き合っても構わないのだが、日本人は名前と顔が一致した頃には帰国している。だから、最近は最初から名前は覚えないようにしているのだ。」と言う返事が返ってきた。こう言う時はクリスマスカードの1枚でも送り続けると良いのだ。そうすれば首の皮一枚だけでも繋がっている。

香港に43年と先に申し上げたが途中日本に帰ったので10年のブランクがある。その間でも香港でお世話になった幼稚園のおばあさんにまで毎年クリスマスカードを送るなどを通じて人間関係を保ってきた。だから、私の財産は素晴らしい友達ということになる。

香港に来るビジネスマンはノンポリが多いがそうではないと思う。自分の国に関心が無い為だが政治と経済は繋がっているのを日本人はもっと意識するべきだ。先日福田首相のコメントを聞いてひっくり返るほど驚いた。

「国民主体の政治を行なう。」のだそうだ。ならば、今まではそうではなかったのか?

香港人から「安倍首相はどうですか?」と聞かれて「御曹司ですからねぇ。」と返事をした事がある。御曹司は周りのお付きが何でもやってくれて、本人はわがまま放題で育っている。世の中を知らないのだ。

医者の世界でも2代目は同じ様なもの。例えば、親が病気で治したいとか本人自身が病弱で何とかしたい、と考えて医学の道を志したのであればその医師にはハートがある。

今の日本はいろいろな意味で調子が狂っているように見える。

最後のおまけにアメリカ人と日本人と中国人のそれぞれの奥さん違にまつわる小噺をひとつ、アメリカ人の奥さん。旦那が金を持って帰らなくても6時までに帰ってくると怒らない。

日本人の奥さん。旦那は帰ってこなくても金さえ持ってくれば怒らない。

最後に中国人の奥さんは旦那が金も時間も守らないと怒る。

香港のドラマなどの香港の男性はふがいない。腰抜けに見える。平手打ちは多いし、大きな声で良くヒステリックに喚いている。

《質疑応答》

Q:客家の人たちは何故こんなにスゴイのか?「客家の教え」といったようなものはあるのか?

A:客家は団結が強い。宗教や音楽などの共通性は無いのに金儲けになると団結している。高くてもその人が儲かるように買ってあげている。そういう心意気を持っている。その面では潮州も似たところがある。

Q:正月に日本に一時帰国していたがたったの2週間で親が子を殺したり、子が親を殺したというとんでもないニュースが15件も発生している。日本の将来についてどう考えるか?

A:日本に関しては言いたい事がイッパイある。(一同爆笑)

子供を殺した親に問題があるが、そんな親を育てた親にも問題がある。アメリカの風習をそのまま受け入れたのは問題だと思う。

悪い意味での自己主義、人間だから何とか解決するほう方があるのではないかとは思う。

香港にしたところで六四事件(第二次天安門事件)以降、人心は揺れ親子の関係が変化したように感じる。子供たちの為に親は安住の地を求めた。だが、親は子の事を考えるが、子は親の事を考えないように変わってきた。80歳を超えたお婆さんが六四事件を怖がってオーストラリアで医者を開業している子供を頼ろうとしたところ、子供のほうはなんだかんだ理由をつけ受け入れようとしないと言うことが身近でも起こった。

もっとも9歳の子供が自殺した事件(香港では低年齢の自殺者は珍しい)で政府高官が「これは放っておけない。」とすぐに反応した。人の心の動きはそれほど変わらないのだとすこし安心した。

Q:国際結婚の草分け的存在だが、その頃のお話を披露願えまいか。 それと緒方家について。

A:東京オリンピックの年に香港人と結婚した。東京から香港まで飛行機で6時間掛かった時代である。家族、特に母親から大変な反対を受けた。家の名を継ぐべき立場であった為だ。福岡市長をしていた叔父が「名前は私が継ぎます。そう思ったら気が楽じゃないですか。」ととりなしてくれたお陰で結婚する事が出来た。夫とは青山の教会で結婚式を挙げたのだがその前に2人でキリスト教の洗礼を受けた。

縁があって一緒になったのだ、と考えていた、夫は喧嘩すると「離婚だ」「離婚だ」と好き勝手な事を言っていたが「分かれて困るのはそっちじゃないか。」と意に介さなかった。

JICA理事長の緒方貞子は父の兄、緒方竹虎(吉田茂から自由党総裁を引き継ぎ55年保守合同を実現した政治家)の三男四十郎(元日銀理事、元日本開発銀行副総裁)の妻。

Q: 家族のあり方をどう考えるか?アメリカ人は離婚したら前の子供の写真は残さない、今の家族の写真のみ持ち歩く。今の生活を大事にしているのだと思う。日本人は単身赴任が多い。これで幸せかなと思う。それであれば中国人の方が幸せかとも思うことがある。

A:子供は2人居る。悩みもあった。自分は英語も出来たので当時引く手あまただった。自分には理想の形と言うのがあり、子供を見ず知らずのアマに預けたくは無かった。オムツを換える母親になるか、子供が16-7歳になった時に将来を語れる母親になるか?しかし、周りは奥さんが積極的に外で働き旦那も社会で活躍する嫁を自慢する環境。泣く泣く外に出て働いた。子供はスキンシップが大切で、本物の母親が面倒を見るべきだと思っている。相談されたら国際結婚はするなとアドバイスしている。

《速記 by 拙速で候》

オールランドプロモーション社長 緒方 玲子氏

略歴

日本留学していた香港人医師の夫と1964年に来港。

コラムニストとして約10年間読売新聞にコラムを執筆。

1980年代に、PR・コンサルタントなど幅広い業務を受け持つ

オーラルランド・プロモーション(全天地推広)社を設立。

香港福岡県人会会長を務める。

関連記事:

http://news.nna.jp/free/interview/zaikaidokuritu/zaikaidokuritu16.html

http://news.nna.jp/free/interview/040709_hkg/key_person17.html

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