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第118回定例会

June 11, 2016

第118回

A Foods 24/7 Limited Managing Director 杉内 馨氏

開催日

6月11日(木)   19:00 ~ 21:30

開催場所

香港和僑会オフィス http://www.wa-kyo.org/contact

参加者数

35名

 

 

「波瀾万丈の香港生活」

今回は香港在住32年、セレブリティーシェフ・フードコンサルタント・フードスタイルスト、香港の TVB 料理番組や旅番組などでお馴染みの Kei San こと杉内馨さんをお迎えしてのお話を伺いました。

2006年から料理のレギュラー番組や旅番組などに出演し、「和の文化」 のタイトルで掲載されている雑誌のコラムを始め、年間では100本以上雑誌へ寄稿もされています。また最近では 「家庭で作れる日本料理」 という本を香港で出版しました。以下、これまでに至る軌跡のお話しです。

 

Kei San は、北海道の釧路出身です。つまり、海産物に恵まれて育ったという事です。例えば皆さんボタン海老の色をご存知でしょうか。Kei Sanが子供の時におやつで食べていたボタン海老は身が透明です。またバフン海胆など、工場で生産したお菓子よりも安くここでは手に入りました。北海道の十勝から東、道東は和牛の知床牛、豚も美味しい、白いトウモロコシ。とにかく安くて美味しい。飛行機を使って東京から食べに来ても交通費以上の安さがあります。

 

40年前の15歳の時に、親の仕事の都合でカリフォルニアのサンタナと言う町に家族で引越ししました。当時のサンタナは危険な所でしたが、未成年なので酒も飲めず歓楽街で遊んだ記憶もありません。記憶と言えば、そこに 「将軍」 という日本料理屋があり、寿司のカウンターに手の甲までが黒い黒人の寿司職人が、白い手の平に赤いマグロを乗せて、白いシャリで寿司を握っていた時に感じた違和感が記憶に残っています。その時のマグロの握りはおにぎり程の大きさでした。

そしてそこでは生活に必要な物、特に日本の物はなかなか揃わない環境でしたが、日用品を販売する雑貨屋でアメリカ製のキッコーマンなどは手に入りました。例えば、キャベツが手に入らないのでお好み焼きに白菜を入れてみたりなど、当時は自分なりに色々な工夫をしながら料理を作って食べていた事で料理に目覚め、それが現在の仕事に役立っていると思います。

 

その後、日本での学校経験が乏しかったので卒業したら香港で働く事にしました。香港に関しては、そこでスキーが出来ると言われてそれを信じていた程度の知識しかありませんでしたが香港ではレザーと毛皮の会社に入社しました。まだ、世界中で動物の毛皮を着る事が許されていた時代です。

原材料の毛皮は中国にミンクやフォックスのファームがあり、南海市や仏山には何回も行かされました。バスで8時間。バスを降りて検問を歩いて渡るボーダーが何箇所もあり、ハンドキャリーの荷物を抱えてバスを見つける事が出来なくてバスに行かれてしまい。大変悔しい思いもしました。また中国では生きた動物をその場で調理する料理や油にも慣れず、ここでの食事は苦労したのであります。仕事の面では香港を拠点に中国と台湾の担当でしたが、韓国に行く機会もありました。1980年代の終わり頃、当時の韓国は戒厳令がようやく解除されたばかりで、物価も当時の日本に比べて 1/20 程度でした。

 

会社の話に戻します。ある日、香港の社長がギャンブルで失敗して居なくなってしまいます。自分で考えた結果、そこにお客と仕入先がそのまま残っている事に気が付き、そっくりそのお客を引き継ぐ事にしました。その頃、商品は毛皮から一般の衣料品に移行し始めており、「シルクのパジャマ」 と言うポリエステルのパジャマが月に20万枚も日本に出荷していたのです。自分から騙すつもりはありませんでしたが、ポリエステルのパジャマがシルクの値段で売れるので、これは儲かりました。香港の不動産も安くてどんどん値が上がる時期でしたので自分の周囲にもその頃、不動産で財産を成した人も良く見かけたのであります。

 

さて、1997年の香港返還の後、1999年に当地のバブルは弾けて私は家も会社も失いました。日本では仕事の経験がないと言う理由で、日本で働く事を断念した所、北海道のラウスに居るおじさんから声をかけて貰い、日本の海鮮物を香港で卸す仕事を興しました。香港のバイヤーとも知り合い香港で会社を立ち上げて、インターネットで北海道の海鮮品を販売し始めた所、事務所の電話が鳴り止まないほどの注文を受けたのであります。

更に、海鮮物を使った日本料理の紹介記事を雑誌や新聞で取り上げられ、これがテレビに発展したきっかけであります。しかし、皆さんの記憶にもあると思いますが2011年3月に日本を襲った地震の被害で、日本の食材が香港で輸入出来なくなってしまったのであります。当時、店頭や倉庫内に有った食材はあっと言う間に全て完売です。その後は日本食材を扱う事が全く出来なくなってしまったのです。日本料理に携わっている方も、この時期は大変なご苦労をされたと思います。香港人のパートナーは自分と別れ、日本以外のアジアの食材でビジネスを繋ぎ現在も営業しています。それから日本食をネタにしたテレビに転進しました。現在では家庭的でカジュアルな日本料理を調理しながらゲストの美人タレントを相手に視聴率もおかげさまで上がり、人気を頂いています。

 

今、皆さんに申し上げたいのは日本の風評被害です。インターネットの公表サイトで毎日報告されていますが、福島県の放射能数値は、東京よりも低いのが事実です。2015年は 「Kei San と行くグルメツアー」 と言う番組で、鹿児島からスタートし、一年かけて北海道まで紹介する企画が進行しています。香港で日本の紹介番組は香港人が体験者となってレポーターになる事が多いのですが、日本を紹介するのはやはり日本人です。この企画は成功すると信じています。最後に、自分は打たれ強く生きている真面目な男です。

 

余禄:香港人が言う、日本語の 「いらっしゃいませ」 は、広東語の2134です。彼らは 「イーヤッサムセイ」 で日本人に通じると思っています。如何でしょうか。

(文責:香港和僑会、執筆:香港和僑会会員 黒尾 登さん)

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