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第30回香港和僑会


第30回

リースキン香港社長常盤 ゆかり 氏

第30回香港和僑会

開催日

10月1日(月) 19:00 ~ 21:30

開催場所

日本人倶楽部

参加者数

40名

第30回香港和僑会

さて困った。どんな人か全く想像できない。

今回は香港で屈指の大成功をした日本人女性起業家、“あの”常盤ゆかり先生。

以下のほかに紹介記事も多数ある。

http://news.nna.jp/free/interview/gunzou/gunzou27.html

http://nna.asia.ne.jp/free/interview/zaikaidokuritu/zaikaidokuritu12.html

お目にかかるのは今回がはじめて。

会う前から楽しみで事前に紹介記事を読んで 人物像の輪郭を掴んでおこうとした。

しかし記事を読めば読むほど人物像が浮かんでこない。

そもそも「気品」「上品」これらの言葉と起業家として行動し歩んできた足跡とのギャップからしてとても大きく、頭の中でうまく結びつかない。

◇絵になる人、しかし…

果たして当日。

「あれ、着物で…。いや、そうではないか」

着こなしからして違った。着物の“絞り”をたくみに取り入れた洋服をお召しになり登場。絞り独特の明るい色合いの花柄をあしらっている。

「おしゃれをするのは人様を喜ばすため」

誰かの本に確かそんな一説があった。 このお洒落なら日本人ばかりでなく外国人も喜ぶ。

講演の前のひととき、和僑会の師匠こと筒井会長ほか一部事務局メンバーとしばしご歓談。

「確かに上品」事前に読んだ資料からやんごとなきお方≒(イコール)近寄りがたく、ある意味でとっつき難い人を勝手に想像していたが極めて気さくで謙虚。もっとも発するオーラが普通の人とは違う。なんと形容したらいいのやら。淑女にカワイイもしっくりしないし…。

あえて表現するなら「絵になる人」と言うのがお会いしてすぐの印象。

しかし同時に戦歴(?)から連想する「凄腕」「戦うときは徹底的に戦う」様な人にはとても見えない。

会ってすぐ感じた印象とのこのギャップ。 自分自身の中で咀嚼することができるだろうか?

「今回の議事録も難しい。果たしてうまく雰囲気をお伝えすることができるだろうか」期待とともに不安な気持ちになった。

聴講者は50名を超え、予備椅子が足りなくなるのではと心配するほどの盛況ぶり。今回初めての参加者も多い。また若い女性客が目立ち、いつになく華やいだ雰囲気に。折りしも和僑会第30回を記念するのにふさわしい講演となった。

開口一番「シンガポールとルーマニアに行って参りました。ルーマニアの不動産は今、非常に魅力が…」

「え?ルーマニア…の…不動産???」

出だしから常人(?)の守備範囲をはるかに外れた話がポンポンと飛び出す。

事前の事務局、歓談でも常盤先生が「和僑会のような起業の相談ができる集まりは本当に素晴らしい。これから起業される人は本当に恵まれている」とお褒めいただいた。

それを聞いて「和僑会ではいろいろなバックグラウンドの人が集まり互いに助け合い…」と満面の笑みを浮かべる師匠。

常盤先生の香港起業当初は相談相手もまったくなし。苦労の連続だったようだ。なにしろ30年以上前の話である。当時はそもそも日本人も今ほど多くはなかった。その苦労話に入る前に常盤ゆかり先生の生い立ちを少し。

950年続く鎌倉の旧家の父と医学の道を志しながら大恋愛の末医者への道を断念した母というご両親。

名門旧家に嫁いだ先進的女性。さながらテレビの連続ドラマのような設定である。当然ご本人もお嬢様。その母親を「勇気」「賢い」と非常に尊敬している。 しかし同時に「自分は家庭にだけは入りたくない」と母親を見て心に決めた。

「語学は大切」と思ってのミッションスクールでの勉強が役立った。「英語が堪能な変わった子」ということで就職すると引っ張りだこ。富士銀行、1974年には日航開発の秘書課、そうかと思うと(後にオランダ商工会議所の会頭を勤めることとなる)大物オランダ人貿易商のデーカー氏の個人秘書などを経験。

「松下幸之助氏や森田昭夫さんなども良くオフィスにお見えになった」と言う環境だった。

旧家の常としてお見合い話が続々「とにかくお見合い結婚は馴染めない」このままでは結婚させられる。何とか逃げる方法はないか?と悩んでいたところに職場で香港赴任の話があり飛びついた。

当時から香港は男女同権の雰囲気が。たちまち気に入った。しかし、いくら才女といってもいきなり60名の部下を待つ身になるなど戸惑いの連続。

聞いていて思わず笑ったオフィス時代の頂戴したニックネームは、なんと

『お掃除屋さん』

しつけのせいか、オフィスでごみなどが落ちていると自分で拾って回る癖が抜けない。日本ではさほど変わったことではないが、香港では「オフィスのお掃除はアマがやるもの」

現地のスタッフには非常に変わり者に見られた。

おもしろいと思ったのは奇しくもその後、お掃除事業で大成功のきっかけを掴んだこと。

「なるほど、天性の『気品あふれるお掃除屋さん』はそのころからなのか。」と一人で納得した次第。

◇ 「ゆかりは小さいときから気品を備えている」

常盤先生の経歴のお話は実におもしろいが、ひとつひとつのエピソードをまとめ出すとおそらく20枚のA4でも足りない。ここではさわりだけでご勘弁いただき詳細は上記のURLを是非参照いただきたい。

いつまでも帰任しないわけにはいかない。「日本に帰ったらお見合いして家庭に入ることに…」なんとか香港に残る画策を。幸運にもフランスやヨーロッパの高級ブランドを扱う話が舞い込み試行錯誤をしながらも「1年でオフィス買える位のお金が…」

その後、香港人と結婚することに。当然、旧家の親族はこぞって大反対。そのとき親戚で一人だけ好意的立場を取った叔父が「ゆかりは小さいときから気品を備えている」といった一言がいまも心に残る言葉。

→そのたった一言がひょっとして今日の常盤先生のイメージを支え続けた!?だとしたらまさしく“一言の重み”ですね。

そしてリースキンの小此木社長とも人生を変えた出会いを。

→かつて私(上野)はダスキンでアルバイトをしたことがある。私にとってダスキンが一般家庭や商店中心というイメージが強いのに対してリースキンは5つ星などの高級ホテル向けのイメージが強い。

『家庭と仕事の両立。仕事でのいやな顔、疲れた顔は絶対家庭に持ち込まない』これが香港人の前の夫との固い約束。そのころ、子供を宿すが予定の生み月は丁度リースキンのセールス開始時期と重なる。

自分で原価計算をすると、売れなければ6ヶ月で倒産と言う計算結果。ファミリーには迷惑をかけない約束は意地でも守らねば。

予定通り子供が生まれないとすべてが狂う。予定通り子供が生まれるよう『山歩き』まで敢行した。(女性でない私には良くわからないが、それって結構危険なことでは!?)ともあれ子供は予定通りめでたく出産。

因みに、2人の娘さんのお産で入院のとき、いずれの場合にも仕事の書類や本を10冊ぐらいを病室に持込んだ。 産み落とすと同時に13通の手紙を書いたことも。病院関係者に「こんな妊婦は見たことがない」とひどくあきれられたとか。

香港への出向時代から無理がたたって何度か倒れたことも「(部下の管理も大切だか)自分(の健康)もマネージせよ」当時の上司からいただいたありがたい忠告。

「現在は事業を絞ってきている」といわれていたが最盛期は10社を超える事業を最高責任者として並行して経営を切り盛り。

一見ばらばらに見えるがそれぞれの事業の選択基準はと言うと、「ニーズがあること」。

たとえば「汚い仕事(でみんなやりたがらないけれど必要な仕事)」

殺菌用マットなど環境整備事業のリースキンやその後進出して大成功するペストコントロール事業などがこれにあたる。

ニーズを掴むため常盤先生は常々人に会うと「なにかこういったサービスがあれば便利。 とお感じになっていることはありませんか」皆さんにうかがうよう心がけている。

そうしていただいた声から「会計士や弁護士は日本語で対応して欲しい。」とか「歯医者も日本語がありがたい。特に歯科は日本と外国では技術が違うし心配。出来れば“日本人”の歯医者さんに見て欲しい」といったニーズがあることがわかり早速、これらも事業化へ。

また事業を始めたときに自分にかけた営業ノルマが『一日10社訪問』

「当時850社程度といわれていた日系企業をおそらく、一社残らず訪問したのではないでしょうか?」敢えてタクシーを使わず足を使った営業も展開。お陰で香港のオフィスビルがどこにあるか今でも普通の営業マンより詳しいとか。

→「1日10社」さらっと言われているので、 つい右から左に聞き流しそうだが営業をやっている人ならすぐわかるようにこれを継続するのは至難の業。(脱帽)

◇ 会社は自分のベイビー

大成功して倍々ゲームを続けた殺虫消毒事業では経営者としての凄みの片鱗を感じさせるエピソードも。

ある時、お得意さまから連絡が「常盤さん、殺虫消毒事業順調だと思っていたのにどうしたの。会社を畳むそうだね?」

「え…?どういうことでしょうか」

お得意さんに飛んでいって事情を聞いてビックリ。 自分の会社の重役が挨拶に来て

「今の会社は経営にいきづまりまもなく会社を畳むことになった。私は今度、新しい会社に行くのでそちらと今後、取引を移管させていただく」と言う話をしていったとのこと。

『裏切り!?』

会社に飛んで帰り社員の帰った夜中にゴミ箱までひっくり返し証拠を探した。

するとさらに驚くべき事実が…。

商品の横流しなど20人以上いる社員のうち自分の秘書一人を除く全員に既にその重役の息がかかってつるんでいることがわかった。

伸び盛りの超多忙な会社で味方はたった一人。全員を敵に回した状況。

意を決して大胆な決断に。

朝、秘書に「今日すごいことが起きるけれど、是非あなたには会社に残って欲しい」

そういうと社員全員を呼び寄せ即刻解雇を言い渡した。

お客様には

『サービス改善のため2週間お休みをいただきます』

不幸中の幸いは、業界大手のキャリアンと言う会社が丁度倒産して人材はマーケットにあふれ気味だった。人集めは何とかなる。という目算もあった。それからは立て続けに採用面接をこなして何とか人を集めた。

→2,3人規模の会社ならまだしも20人規模の会社の従業員全員の首を切る。「経営者はいざとなったら自分で全部やる」心のそこからこの覚悟があって初めて成せる技である。

また、ある時、社員の中の扇動家に煽られ、お客様に商品をお届けする運送トラックの運転手全員がストライキを。

そのときもトラックの運転手たちを前に

「お客さまに迷惑をかけるわけには行きません。私がトラックを運転して商品をお届けします。皆さんも協力してください」と。すると運転手の中にも協力する人が出たので事なきを得た。因みに常盤先生はそれまで一度もトラックを運転したこともないし運転の仕方もしらない。(当たり前か)

これも「経営者はいざとなったら全部自分でやる覚悟」があったからこそ。

いや、おそらく単にそれだけではない。

「会社は自分のべイビーと思っております」

本気でその気持ちがなければ、これだけの逆境は跳ね返せない。並大抵の覚悟だったら妥協したり、辞任の道を選ぶのではないだろうか。

失礼ながら、淡々と語るそれらのエピソードを聞きながら、テレビドラマの一幕のような光景がふと頭に浮かんだ。

普段はいかにもおっとりしてお嬢様育ちの若い女性社長が会社の絶体絶命のピンチに突然豹変。

「女だと思って舐めたらイカンぜよ」

とにかく見た目の気品からひどくかけ離れたエピソードの数々。実際にはどんな光景だったのか想像も出来ない。

いずれにしてもいざとなったら“コワイ!”

い、いやその

カワイイ…

だったかな!?

◇ 騙される方が悪い

「植民地だったこともあってか、香港人の中には自分の生活を支えるものはお金しかないという考え方をする人が少なくない」

何しろ相談相手もいない一人での試行錯誤の連続。信頼していた会計担当の不正の発覚、お金とポジションを餌に工場長を台湾系ライバル会社に突然引き抜かれるなど。

会計不正では会計士や法律家にはっきり言われた。

「会計など肝心要のものを見ていなかった経営者が半分悪い」

日本と違ってこちらでは「騙される方も悪い」いや、場合によっては「騙された方“が”悪い」。一人での試行錯誤から得た苦い教訓のひとつ。

また「経営者はときには自分がいないと成り立っていかないと思わせる」必要もあるとも。

◇ 己を知る

「同時にいろいろなことをこなすのがすっかり生活の習慣に。いつものようにテレビをつけながら新聞の記事を読んでいると急にテレビの画面がとてもゆがんで見えました」

医者に行くと重度のストレスから目がぼろぼろに。男性ならともかく40代の女性でこんなひどい病状は見たことがないとも言われた。失明の恐怖。そして緊急手術。しかし大切な会議が控えているので手術後にはすぐにサングラス姿でお出かけ。

胃潰瘍でダウンしたことも。

「つくづく最近感じることは自分の『限界を知る』ことも大切」とも。

→お話を聞いていてこの教訓は自分には全く当てはまらないと感じた。自分の場合は、まだまだ勝手に自分の限界を決めてあっさりあきらめている。もっと限界に挑戦しなければと逆に感じた次第です。(深く反省)

◇トップの素養

「トップの素養とは?」と言う質問に対して「まず話しかけやすい雰囲気作りを心がけ、相手の話をよく聞く」

そういえば常盤先生は質問者に対しても「ありがとうございます」を連発。逆の意味で恐縮はするものも非常に質問しやすい雰囲気作りを心がけられているのがよく感じられた。

また「自分で咀嚼した意見を述べること」が外国人とのコミュニケーションでは特に重要とも。

◇華麗なる人脈

バディー君(クリントン元大統領の愛犬)に飛びつかれた逸話など人脈にまつわるエピソードも満載だった講演。とても、とても書き切れないので涙を呑んで割愛させていただきます。

ただ印象的だったのは、ノルウェーの宮殿を訪れ、キング(王様)にばったり出くわした時の逸話

「特別な格好をしているわけではないのに全身からかもし出される気品、物腰から一目でただならぬ人であることがわかった」と。

家にいたときにはお茶、お花、お料理などのお稽古事を半ば強制で習わされたけれど後になってそのことに非常に感謝したとも。

◇絵になる人、しかし漫画にはならない人

偉く収拾のつかない議事録となってしまった。人物像の輪郭を書こうにも広がりが大きすぎてまとまらない。話を聞きながらほとんど輪郭を描くことをあきらめかけたころに“ハっ”とさせられる一言が、

「どんなに大変でも“髪の毛を振り乱して仕事をしてはならない”と常に自分を戒めていいます。自分の娘であってもおそらくそんな母親の姿は見たことがないはずです。」

「そうか、自分を厳しく律していたからなんだ」やっと自分の中の大きな(実はちっぽけな)疑問が氷解した。

絵心はないが、もし常盤ゆかり先生の特徴をことさらに強調した似顔絵風一コマ漫画を描くとしたらどうなるだろうか?

活動面だけみれば激動感あふれた、それこそ「髪の毛を振り乱した」人物画となるのではないか。しかしそれではおそらく本人にちっとも似ていない。かといって淑女風の似顔絵も本人の全体像をあらわしてはいない。

セルフブランディングあるいはセルフイメージなどと言う言葉が最近はやっている。「人はどう考えているかはわからない。いったい周りは自分をどう思っているだろうか?」ついつい周りばかり気に受身になりがちだが実は自分のイメージを作っているのも自分自身。

大切なのはまずどんな自分であるべきかを自分が決めてそして自分を律する。こと。

身をもって範を見せていただいた思いの講演でした。

気品とまではいかなくても「背筋を伸ばしてもっとかっこよく歩こう」今回の講演で自分向けに考えたささやかな戒めの言葉です。

講演を締めくくる前に常盤先生から、嬉しいご報告が

「8月18日に再婚いたしました」

お相手は国際弁護士で、もとNATO裁判長。イエール出身で2年下はクリントン、ジョンケリーとは…。

これもとても書ききれないので…悪しからず。

おめでとうございます。又、是非和僑会に遊びに来てください。

(文責 香港和僑会 上野)

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